'99.3.20 記
東松山・越生探訪('98.7.14)
今日は半日開きました。で、近場をふらふらとすることにした。
東松山や越生はよく行くが、改めて回ったことはなかったなあ。
ここんとこ雨が多かったが、どうやら今日は平気そうだ。
R254に出て北上、吉見百穴を目指す。松山城跡はすぐ近くである。
松山城跡の搦手口にある岩殿観音前にある岩窟商店にバイクを置かせてもらい、本丸跡を目指す。
上り口は県道沿いにあるが、ややわかりづらい。また、数日雨が続いていたこともあり、非常に上りづらい。
しかし、登っている途中にも、空堀が至る所に見られる。
松山城跡の碑
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松山城本丸跡
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本丸跡には案内板が建っていたり、隅の物見櫓跡には大きな石碑が建っていたりする。
また、北側には土塁が巡らされている。
松山城跡から西に進み、関越自動車道東松山I.C. を目指す。
I.C.を過ぎ、右手にガソリンスタンドが見えたら右折する。
右折して左手の小山一帯が青鳥城跡である。
青鳥城跡はちょっと見るだけでも、土塁・空堀・水堀等、遺構が多数存在していることがわかる。
しかし、城跡に (はあと ホテルが数件あるのはちょっと...。
青鳥城跡板石塔婆
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板石塔婆解説
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関越沿いに南下し、県道212号線を右折し、こども動物自然公園を目指す。
途中、足利基氏館跡の看板があるので右折してしばらく走ると、でっかい看板がある。

足利基氏の塁跡解説
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足利基氏の館跡
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遺構は土塁と堀。コの字型に土塁が残っているが、郭部分はでこぼこである。
さらに進むと、鳴かずの池というものがあった。
鳴かずの池(弁天池)
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なんでも坂ノ上田村麻呂が東征の時、この地で龍退治をしたという伝承があるそうだ。
ひたすら西に進み、鳩山町を通りすぎ越生駅前に出る。駅前にある法恩寺の裏手にある越生神社をめざす。
ここら一帯が越生氏の館跡だったそうである。

越生神社
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高取城跡登山口
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高取城跡への登り口は神社より奥にある。登り口から登り、手前の七五三縄が巻いてある道を登る。
奥の道は高取山登山道で、登ってゆくとあさっての方向に行ってしまう。
てくてくと登ってゆくと、途中土塁や堀と思われる地形が至る所に見られる。
10分弱くらい登ってゆくと、本郭跡らしきところの登り口に、高取城跡の標柱があり、
さらに登ってゆくとほこらが建っていた。
高取城跡標柱
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高取城本郭跡
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ここで集合時間になったので、集合場所まで移動。
その後研究に関する重要な作業を行い、再び散策を開始する。
大通りに戻り、黒山三滝を目指して出発。途中案内板を頼りに2個所ほど右折すると龍穏寺につく。

龍穏寺解説
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龍穏寺太田道潅像
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ここは太田道真・道潅父子にゆかりが深く、太田道潅の像や江戸城外堀の石、太田道真・道潅父子の墓などがある。

江戸城外堀の石
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太田道潅公墓上り口
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太田道真 (左)・道潅 (右) 墓
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太田道潅公墓解説
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また、道潅の墓の奥に、ここ龍穏寺に蟄居していたことがあるという、山口重信の墓もある。

山口重信墓
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山口重信墓解説
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越生駅まで戻り、駅の反対方面にある道潅ゆかりの山吹の里を見学。

山吹の里歌碑
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山吹の里入り口
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ここには道潅の家系図や道潅の生きていた当時の勢力図などがあるのだが、
どうせなら「郷土ゆかりの偉人太田道潅記念館」くらいなものはつくって欲しいと思う。
無理かなぁ...。

山吹の里解説
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太田道潅時代の勢力図
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で、薄暗くなってきたので、通り慣れた道を通り帰宅。
う〜ん、こうみると結構近場でも行ったことのなかった所ってあるもんですねえ。
今度は坂戸・川越をふらふらしてみるか?
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