'99.8.14 記
'01.10.1 追記

東海遠征〜お城ML東海Off会〜('99.7.31)

足助城南の丸台所建物にて

参加メンバー(敬称略)

 ・赤影
 ・堀部 (堀部さん作成OFF会報告←写真満載!)
 ・しの
 ・かず@川崎
 ・岡崎因幡の国
 ・すずりん
 ・下総介(散策中につき不在 (-_-; )

足助城南の丸台所建物にて(1999.8.31)
(撮影:ガイドの野田さん (^_^;、提供:かずさん)

  お城めぐりFAN ‥…━★ メーリングリストのOFF会が今度は東海で行われることと相成った。 例によって、ワタクシも武蔵の国からはるばると参加させていただくことにした。 移動手段は岡崎因幡の国さん(同じく武蔵の国から参戦)の車で、 下総介さん(常陸の国から参戦)と3人で同乗して行く事になった。

【オフ会前夜・・・出陣編】

7月30日金曜日。

 23時、京成上野駅前で岡崎因幡の国さんと落ち合う。待つことしばし。下総介さん到着。 そして出発!と思い気や、岡崎さんが仕事中とのことで、 我ら二人は岡崎さんの会社で休憩することに (^_^;

7月31日土曜日。

 日付変わって、2時半頃出発!運転手の岡崎さんは徹夜である (^_^; 大丈夫か?という心配をよそに、3人のなかで1番元気でした (^_^;
 首都高⇒東名高速と乗継ぎ、一路名古屋へ。途中足柄SAで遅い夕食を摂りがてら休憩。 そしてしばらく走ると、下総介さんは『夢の中へ』。 ワタクシも途中途中で記憶を無くし、岡崎さんだけ一人元気。 そんな中、せっかく寝ている下総介さんの携帯に電話が...その名はかず@川崎さん。 彼は東海OFFの後、中国まで攻め上る予定なので別行動をしていたのである。 その後も度々かずさんから電話があり、その度に下総介さんは起こされていたのだった (^_^;

 何度かの電話のやり取りの後、かずさんと浜名湖SAで落ち合うことになり、一路浜名湖SAへ。 着いた頃にはいつの間にか明るくなっていた。時計を見ると7時ちょい前。 先に着いていたかずさんと合流し、2時間ほど雑談。

 9時過ぎに浜名湖SAを出発。かずさんは再び別行動。 ワタクシたちは集合場所である、猿投グリーンロードのPAへ向かう。 途中、長久手古戦場を横目に通り過ぎ、集合場所へ到着。 しかし、集合時間の10時になっても東海勢の方々は現れず。それなのに遅れるという連絡もなし。 それもそのはず、誰一人幹事さまに携帯の番号を教えていなかったのである (X_X)。 おまけに誰一人幹事さまの携帯の番号を控えてなかったので、連絡の取りようもない (X_X) 。

【東海オフ・・・足助編】

 マジであせりながら待つこと約20分、2台の車と共に東海勢の方々が。 初対面にもかかわらず、雰囲気でお互いが解ったのが不思議 (^_^; 。 簡単な自己紹介のあと、第一の目的地足助城へ。

 足助城の駐車場でかずさんと合流。 かずさん曰く「日本で唯一、土塁で入場料をとる城」だそうで、300円払って攻城開始!

【足助城】
 標高301mの真弓山山頂を本丸とした連郭式の中世山城。 鎌倉時代に足助氏 (一族の中では、後醍醐天皇に従い笠置山で戦功があった、足助重範が有名) が築いたと言われていたが、発掘調査の結果、この頃の遺物は発見されなかったため、 15世紀以降、鈴木氏の築城によるものと考えられる。
 鈴木氏は戦国時代、西三河山間部に勢力を持っていた一族であり、 足助鈴木氏の初代忠親は15世紀後半の人とされている。
16世紀に入ると、岡崎松平氏との間で従属離反を繰り返すが、最終的には松平(徳川)氏に従った。 5代康重の時、家康の旗本として関東入国に従ったため、足助城も廃城となったと考えられる。

 入って驚いたのが、よく整備が整っているということ。しかも堀切も立派に整備されていた。 ただ先日の大雨で数ヶ所土が流されており、ビニールシートで覆われていたのが残念。
 #赤影さんによると「土に問題がある」かもしれないとのこと。なるほど...

 本丸まで登ると、ガイドさんが常駐している。このときいたのは、野田さんという方。 なんでもこの足助城の発掘を実際に行ったそうで (゜゜; 南北朝時代の足助のことから、発掘中の話、復元のこと等々、いろいろと教えてくれた(^_^)

足助城見取り図
足助城見取り図・・・整備されているのは本丸周辺のほんの一部だそうで、
実際はもっと大規模な山城だったそう。
復元物見台
復元物見台・・・登るためのハシゴもあるが、
行政指導のためしまわれているそうな...。

 なんでも、いつぞかの「ふるさと創生資金」を足助城の発掘復元に使ったんだとか (@_@) 。 本丸でしばらく話を伺い、高櫓の中へ。おお、入ってもいいのかい (^_^)

本丸・高櫓と長屋
本丸・高櫓と長屋・・・なんと中に入れる!二回にも登れる。
イタズラに天守閣などを造らないのが良い (^_^;
復元物見台
高櫓二階よりの展望・・・信州・東美濃・尾張那古屋・岡崎それぞれに
通じる街道をすべて見渡すことができる。

 高櫓二回に登り、さらに話を伺う。当時もそうだったんだろうという推測のもと、高櫓や長屋等、 復元された建物はすべてこの辺りに多くある松と栗を使用。 屋根の葺き方は、安芸の宮島の社殿などと同じだとか。むむう、凝ってますなぁ...
 そして、いつごろからか野田さんへの質問攻めが始まった。さすが百戦錬磨の兵どもである (^_^; 主に攻めるは堀部さんと岡崎さん。岡崎さんは徹夜明けだったような... (-_-; ただ突っ込みすぎると 「東大の学長をしていた学者先生が言う事ですから...」 と言われてしまうのがほほ笑ましい...?(^_^;

本丸・高櫓と長屋
高櫓二階にて・・・質問する岡崎さん@徹夜明け(右)
親切・丁寧・熱心に説明してくれたガイドの野田さん(中央)
左は質問疲れのため?休憩する堀部さん (^_^;
一方その頃...⇒
復元物見台
書状を読む下総介さん・・・皆が野田さんを質問攻めしている時、
一人で足助城の見取り図を見ていた。
頭の中は「土塁♪土塁♪」だったに違いない (^_^;

 そして高櫓を降りて、散策再開。いきなり下総介さんは単独行動 (^_^; ワタクシらは引き続き野田さんのガイドを聞きながら散策。結局野田さんには、他の観光客をほっといてまで (^_^; 散策終了まで付き合っていただいた。
 南の丸に復元された、台所建物内で集合写真撮影(一番上の画像)。そして二層の物見矢倉や曲輪を見て回った。 数ヶ所道が崩れており、行けなかった曲輪があったのが残念...(-_-; 下総介さんは全部見たそうだが... (^_^;

単独行動中
単独行動中の下総介さん・・・
おかげで集合写真に入れなかった (^_^;
右手には愛用の比叡山杖を持つ。
しかし仕事疲れの為か、いつものキレがない... (-_-;

 行ける所を一回りした後、野田さんに皆でお礼を言って、足助城を後にした。 野田さんは2時間も付き合ってくれた。さすが入場料を取るだけあって立派な城跡であった。 ぜひ他の自治体も見習って欲しいものである (^_^;

 時計を見ると早1時を回っていた。急いで昼食の場、福祉センター「百年草」へと急ぐ。 ここで昼食を摂り、次なる目的地、明智城へと向かう。
 #この「百年草」には手作りハムや手作りパンも作っているそうで。 ハムの方はおじいさんが作っているので「ZiZi工房」、 パンの方はおばあさんが作っているので「バーバラはうす」だとか (^o^) それを聞いて一気に足助町が好きになってしまったのであった... (^_^;

【東海オフ・・・明智編】

 そして、途中道を間違えつつも (^_^; 明智町。 町内の大正村駐車場に車を停め、観光名所である大正村には目もくれず、明智城を目指す。

大正村案内板
大正村案内板・・・至る所に「明智光秀」の史跡が点在する

 まず明智城麓の八王子神社に行く。そこには、明智光秀手植えの楓や光秀建立神社が存在する。 しかし、郷土の偉人を「光秀」呼ばわりとは...(T_T)

明智光秀手植えの楓
明智光秀手植えの楓・・・八王子神社にある。
せめて「光秀公お手植えの楓」と書いて欲しい...(T_T)
光秀建立人麿神社
光秀建立人麿神社・・・手植えの楓の裏に建つ。
これもせめて「光秀公」にして... (T_T)

 次に隣の龍護寺へ。まず目に飛び込んだのは明智遠山氏の墓地。 あの遠山の金さんも葬ってあるとか...なんとなく金さん人気にあやかって、 金さんを合葬したような気がしなくもない (^_^;

龍護寺遠山氏霊廟
龍護寺遠山氏霊廟・・・
歴代の明智遠山氏が合葬されている。
あの「遠山の金さん」も (^_^;

 反対側に、ありましたありました、明智光秀の生誕地とお墓が。 しかし、ここでも「明智光秀の墓」...(T_T) でもそのすぐそばに建つ石碑には「明智光秀公之生地」と書いてあって、ちょっと安心。
 でもさらにショッキングな現実が。光秀公の墓石に亀裂が...(゜o゜)ビックリ。 なんでも「思いが割れる」からだと言うのだが... (-_-;

明智光秀の墓
明智光秀の墓・・・
ここでも呼びつけ (T_T)
明智光秀公之生地の碑
明智光秀公之生地の碑・・・
ここでは「光秀公」となっていた。
奥に行くと光秀公のお墓がある。
光秀公の墓石
光秀公の墓石・・・
斜めに亀裂が入ってます (T_T)

 裏切り者に対する世間の風当たりの強さを目の当たりにしてから、明智城(白鷹城)本丸跡を目指す。 山城なのでそれなりに大変だったが、すぐ本丸跡に到達。
 本丸跡に建つ案内板には 「武田勝頼は、父信玄も落とすのに苦労した戸石城に似たこの城を落としたことで自信がつき、 長篠で無謀な戦いを挑んでしまったため、武田氏の滅亡を招いた」 と書いてあったのだが...(-_-; まあ縄張り図を見て、無理すれば戸石城と似ていなくもない?あ、でも標高が全然違うカモ...(-_-;

【明智城】(白鷹城)
 宝治元年(1247年)明智遠山氏の始祖・遠山景重によって築城されたと伝えられている。
 以来、代々の遠山氏が居城としてきたが、天正二年(1574年)武田勝頼の大軍に襲われ落城した。 それ以降、遠山氏は家康に仕えることになる。
 1582年家康に従った利景は関ヶ原合戦後の慶長五年(1600年)家康の命により明智城へ戻り、 慶長八年明智を本領とする朱印状を賜ることが出来た。 しかし、元和元年(1615年)方景は旗本として江戸に屋敷が与えられる事になり、 明智城は廃城となる。
明智城縄張り図
本丸跡に建つ明智城縄張り図・・・戸石城に...似てるかなぁ?

 そして各郭を見て歩く。クマザサが生い茂っており、やや歩きづらいところもあるが、 総じて散策しやすい。少し散策しただけでも、郭の跡や堀、土塁などがよく残っている。 イメージとしては、一月前に散策した茨城県の小幡城を山城にして、土塁に草木を茂らした感じ (^_^; 下総介さんは相変わらず...言うまでもないか (^_^;
 印象に残ったのは、「猿戻し」と呼ばれる絶壁。 サルでも登れないという意味だろうが、数ヶ所で見られた。そして、中腹に「光秀学問所」も発見。 現在は全く関係なさそうな建物が建っている (-_-;
 行ったり来たりしながら、ほぼすべての郭を見て回り、搦め手から下山。 いやいや、立派な山城だった (^_^)
 #しかし降り口に石垣があったのは一体... (?_?)

明智城跡登り口
明智城跡登り口(搦め手)・・・なかなかいい雰囲気を醸し出している (^_^;
向かって右手側に石垣があったが、いつの時代のものか...

 ぐるっと明智城跡を回って、明智陣屋跡を見学。一応水堀(の一部)が残っているが、 敷地は民家になっていた... (-_-; まあ、案内板と音声案内があったから良しとしますか...

【明智陣屋】
 明智城の大手門近くに設けられた旗本遠山氏の代官所陣屋跡。 家老職・村上氏が、江戸時代の初めから明治維新まで、藩の行政・租税・裁判などを行っていた。
 現在でも、水堀の一部や土蔵と村上氏の屋敷が残る。
明智陣屋の水堀
明智陣屋の水堀・・・中央はJAC系兄貴(堀部さん談)の赤影さん

 その後、休憩をかねて川上屋という和菓子屋さんで、栗きんとんのサマーバージョン?「夏くり」を、 しのさんにご馳走に...感謝感激雨霰!さわやかな甘さでおいしゅうございました (^_^)v

 しばし歓談の後、再会を約束してしのさんと堀部さんと別れ、 我々関東勢4名は赤影邸のある飛騨に向かうのであった。OFF会これにて終了〜。

写真はもっとないんかい!と言う人へ⇒ 堀部さん作成OFF会報告

【オフ会その後・・・赤影邸編】

 赤影さんを先頭に、今夜の宿である赤影邸を目指す。 途中で下呂温泉に寄る予定でしたが、時間が遅かったのでパスすることに。う〜ん残念無念。 赤影邸近くの食堂で夕食を摂ってから、おまたせ赤影邸へ。

 赤影邸では、赤影さん自家製のトマト・キュウリ・トウモロコシ等を頂きましたが、 大変おいしゅうございました (^Q^) お城の話で盛り上がる中、徹夜が効いたのか、かず@川崎さんがダウン。 もう一人の徹夜の方は...一番元気... (-_-;

か○@川○さん
ダウンした、か○@川○さん・・・やはり徹夜が効いた?
一杯やってすっかりダウン(プライバシー保護のため、
画像処理を施し、名前は伏せ字となっております m(_ _)m )

 その後も城談義は続いたが、夜も更けて来たので、お風呂までご馳走になり就寝。 エアコンを使わずとも快適な夜でございました (^_^)
 #ただ朝方、隣に寝た岡崎さんに掛け布団を略奪されてしまい、寒くて目が覚めたのであった... (-_-; ヘックショィ (>.<)

8月1日日曜日。

 赤影邸で朝食までご馳走になり m(_ _)m、居心地が良いためしばらくだらだら (^_^; 10時過ぎになり、ようやく赤影さん紹介の諏訪城へ。

【諏訪城】
 金森氏が南の押えとして築城。もともと諏訪神社があった地。 元和の1国1城令の時に廃城になったが、金森氏の旅館として存続。 その後金森氏の改易により、再び諏訪神社が移築され現在に至る。

 赤影さんの紹介の事はあり、本丸の石垣・天守台と空堀、本丸四隅の櫓台等が立派に残っていた。 おそらく地元の人しか知らないだろうが、なかなかおもしろい城跡であった。
 #「三木氏」を「ミツキシ」と読むことは関東勢誰も知りませんでしたね〜 (^_^;

諏訪城
諏訪城・・・現在は諏訪神社が建つ。
石垣・堀等、キレイに遺構が残っている。お勧め (^_^)

 そして、赤影邸裏に建つドライブインで赤影さんと別れ、我々4人は一路高山へ。 赤影さん、おせわになりやした m(_ _)m

【オフ会その後・・・高山編】

赤影さんと別れた一行は、一路高山を目指す。山間の道を走ってゆくと、とつぜん開けた街に出た。 どうやら高山に到着らしい。 高山に来たとたん、人口密度が跳ね上がったのには驚いた。 言うまでもなく、高山は観光地である。雰囲気はワタクシの地元・川越にそっくりである。 すでに時間はお昼を過ぎているので、赤影さんに教えてもらった高山ラーメンのおいしい店を探す。 名前は「豆天狗」というそうだ。 お店はすぐに見つかった。なぜなら、行列が出来ていたから (^_^; 行列の最後尾に並んで待っていると、15分ほどで順番が回ってきた。 メニューが「並」と「大盛」しかないので、大盛を頼んだ。 縮れ麺と醤油ベースのスープがおいしゅうございました。並んでまで食べた甲斐があったというものです。

ラーメンを食べて、かずさんとお別れ。かずさんはこれから中国攻略にいくそうな。お達者で〜。 残された我々は、高山陣屋を見学する。

【高山陣屋】
国の史跡。日本に現存する唯一の郡代所・代官所の建築物。建物は1816年(文化13年)に建築されたもので、 敷地内には御役所や御用場、大広間、使者の間などがほぼ完全な形で残されている。 また年貢米を収蔵した御蔵は1600年頃に建築され、1695年(元禄8年)高山城三之丸から移建されたもので、 年代・規模ともに全国で最大・最古の蔵といわれている。

高山陣屋は江戸時代の建築物がほぼ完全に残されているそうで、一回りするだけでも相当疲れる。 出口で各種資料が販売されている。

高山陣屋
高山陣屋・・・中は展示室となっていて、
とっても観光客が多い。

次に、街外れにある高山城を目指す。 遊歩道を見つけ、さぁ登ろうとしたとき、トラブル発覚。
「杖を置いてきた!」
そう、下総介さんが高山陣屋の入り口に愛用の杖を忘れてきたそうな。 とりあえずあとで取りに戻ることにして、高山城を攻略開始。
 #愛用の杖のない下総介さんはとてもつらそうでした (^_^;

【高山城】
金森長近が天正18年(1590)から16年かけ築城。 金森氏は初代長近から6代、107年間飛騨の治政にあたったが、 元禄5年6代頼時が出羽国(山形県)に移封となったため、元禄8年廃城。 現在は自然公園として遊歩道が整備されている。

整備された遊歩道を少し歩くと、本丸に到着する。石垣や郭跡などが良好に残っているようである。
高山陣屋ではあんなにたくさん人がいたのに、ここ高山城ではほとんど人がいなかいのに驚く。

高山城本丸
高山城本丸・・・案内板を見る
岡崎さんと下総介さん。

別ルートで下山すると、二之丸公園にたどり着いた。ここは完全に公園として整備されており、 いくつか売店も出ている。
そして、公園の中央に金森長近の銅像がある。

遊歩道入り口
遊歩道入り口・・・二之丸公園から本丸への道。
ホントはここから登るのが普通なのか?。
金森長近像
金森長近像・・・二之丸公園中央にある
長近像の前で記念写真。

しばらく公園内でくつろいで、高山を後にする。
 #もちろん、下総介さん愛用の杖は回収しました。

【オフ会その後・・・帰宅編】

というわけで一行は、東京を目指してひた走る。
途中、帰りがけの駄賃とばかりに、美濃・岩村城に立ち寄るが...夕方5時を過ぎてしまい、資料館がしまっていた。 お城も少し見てゆくかどうか悩んだのだが、時間もないので泣く泣く攻略を断念。
しかし、まだ美濃の国にいるにも関らず、時間は夕方5時過ぎ。 はたしていつ東京に帰り着くのか、ちょっと心配になってきた。
東名高速をひた走り東京へ到着。
しか〜し、日付は8月2日。当然終電もないため、下総介さんとワタクシは岡崎さんの社宅で一泊させてもらうことに... 岡崎さん、最初から最後までお世話になりましたm(_ _)m

結局、1日だけのOFF会のはずが、足掛け4日のOFF会になってしまいました (^_^;

御意見・御感想、ボケ・ツッコミ、不平・不満等々、お待ちしております。

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